大須オペラ |
2003年7月26日 夕方 大須演芸場にて… 昼過ぎに名古屋空港に到着。おなじみインドヤで食事を済ませたあと、宿のチェックインの時間まで暇つぶしもかねて栄から名駅まで歩きました。 インドヤ(たての街)→サカエチカ→プリンセスガーデンホテル→パチンコワシントン前→広小路通 →納屋橋→錦橋→名駅5丁目→国際センター前→ユニモール→宿…という感じで、暑い中を小一時間歩いてみました。 |
▲大須観音 |
宿でチェックインを済ませた後、名古屋近郊のぼんなごファン2人といっしょに、大須演芸場に向かいました。 途中、ぼんなごロケ地の大須観音の前を通過して、大須演芸場に到着しました。 今回は1階の後の席で鑑賞しました。 歌舞伎と違い花道は当然無く、ステージ前に楽団が陣取って生演奏をしておりました。 大須オペラは、世間一般で知られているオペラのお堅いイメージは特に感じられず、むしろ庶民の娯楽としての芝居鑑賞として上演しています。 それゆえ、役者・楽団・観客が一体となって盛り上がる様は、なんともいえないものです。 |
▲大須オペラの看板 |
▲大須演芸場 |
今回の演目「ユートピア国株式会社 または進歩の花形」は、イギリスが世界を握っていた時代に南国のユートピア国にイギリス人を招いて近代化をすすめていく話なのですが、なんと国ごと「株式会社」化してしまい、1年で極端に近代化を進めてしまった結果、イギリス人に「イギリス以上」とまで言われる始末になってしまいます。 急激な変革なわけですから当然ながら弊害も起きてしまい、離婚の増加、失業の増加、交通事故の増加、ごみの増加…などなどの不満が噴出します。 という話の流れで、「(表現が極端な所もあるけど)どっかの国といっしょだな?」と誰しも思うことでしょう。 まさに「風刺」なのです。 もとの台本では当時のイギリスの風刺なのですが、そこは今の日本人にわかるように現代の世相を反映したものに変更しているそうです。 「構造改革」「後方支援」しまいには「なんでだろ〜♪」まで出てくる始末。 いやぁ〜笑った笑った。 |
▲ポスター |
▲新聞記事 |
そして、最後のカーテンコールになると盛り上がりは最高潮に。 ノリのいい観客とノリのいい楽団、そしてノリノリの指揮者の方が一斉に盛り上がり、5回もアンコールが行われました。 あとで座長の原さんから聞いた話なのですが、「普通は多くて2〜3回」なのだそうです。 さらに、「昼の部(満席だったそうです。)より客は入っていなかったけど、(夜の部の)盛り上がりは昼より上だ。」とも言っておりました。 このボルテージの上昇具合は、まさに「名古屋のマサラシステム」と言っても過言ではないでしょう。いや、大阪の(マサラシステムの)本家をも超えていると思います。 お上品にじーっと何時間も座って鑑賞して、はいそれまでよ。というような冷めた観劇よりは、面白いときには大声で笑い、泣けるときには思いっきり泣き、カーテンコールで盛り上がってるときは、立ち上がって拍手しながらつい踊ってしまいたくなるような熱い観劇が好きですね。 |
▲アンコールいきます? |
▲派手なカーテンコール |
また、夏らしく「生ビール片手にオペラ鑑賞」が心惹かれます。 大須師走歌舞伎では缶ビールが売られていましたが、大須オペラではビールサーバから紙コップ売りされていました。 ちなみに、札幌市民にはお馴染みのサッポロビールで、生ビール(黒ラベル)、ハーフ&ハーフ、黒ビールが売られてました。 |
▲上演後、原さんと2shot |
オペラを見た後、我々3人は座長の原さんといっしょに近くの居酒屋で、スーパー一座のオペラや歌舞伎のこと、ぼんなごの裏話などで、話に花を咲かせておりました。 今回の大須オペラで、ますます名古屋が好きになってしまい、大須オペラと大須師走歌舞伎を観るために年に2回は名古屋に行きたくなりました。 帰った後に気づいたことですが、私の地元にもかつて「地歌舞伎」(新琴似歌舞伎とか篠路歌舞伎)が存在して、最近復興の動きがあることを話題にするのをすっかり忘れていました。 もう、なんだかなぁ〜ですね。 |
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